取材レポート 「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」

地域ICT推進協議会(COPLI)セミナー「ウェアラブルとロボットの拓くミライ」

神戸大学大学院工学研究科教授 塚本 昌彦氏と大阪大学教授(特別教授)石黒 浩氏によるトークセッションの開催

 

 日時:平成28513日(金曜) 1645分~1815
 会場:ホテルモントレ神戸 2階楼明館〔神戸市中央区下山手通2-11-13
 演題:「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」

 

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塚本 昌彦 氏【モデレーター】

 1964年大阪府生まれ。工学博士。NPOウェアラブルコンピューター研究開発機構理事長、NPO日本ウェアラブルデバイスユーザー会会長。神戸市ウェアラブルデバイス推進会議座長。
 1987年京都大学工学部数理工学科卒業、1989年京都大学大学院工学研究科博士前期課程修了、シャープ株式会社、大阪大学講師、助教授を経て、2004年より神戸大学大学院工学研究科教授、現在に至る。

2001年よりHMDの日常生活での装着を始めて、現在に至るまで毎日着用している。ウェアラブルの伝道師として、ウェアラブルの未来について数々の予言を行いながら、産業及び民生におけるウェアラブルの利活用を広めようとしている。

 

 

石黒 浩 氏
  1963年滋賀県生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授(特別教授)・ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。工学博士。
  社会で活動できる知的システムを持ったロボットの実現を目指し、これまでにヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど多数のロボットを開発。
  2011年大阪文化賞(大阪府・大阪市)受賞。2015年文部科学大臣表彰受賞。
  最先端のロボット研究者として世界的に注目されている。

 

 

513日、平成28年度のCOPLI総会が開催されました。「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」と題した講演は、モデレーターに神戸大学大学院工学研究科教授の塚本昌彦氏、パネリストに大阪大学教授(特別教授)の石黒浩氏を迎え、総会後に行われたパネルディスカッションです。

 このひじょうに豪華な討論会は、おかげさまでたくさんの方々にご来場いただき、たいへん盛り上がりました。

 今回は、人間、人生、美、平和、幸せ、そしてアンドロイドの技術や未来について、Twitterの投稿を抜粋しながら、それをもとにお二人が議論を深めていく、討論の模様をお伝えします。

 

ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~

 

 塚本 わたしはウェアラブルをずっとやっていて、ヘッドマウントディスプレイ(以下、HMD)を装着しだして、もう15年になります。石黒先生とは20年以上前、シャープに勤めていた頃に知り合いました。先生が京大からいらっしゃって、若干おたくな話題で盛り上がった記憶があります。当時はお互い、将来こうなるとは予想していませんでした。石黒先生はわたしがHMDをつけるなんて思っていなかったでしょうし、わたしも石黒先生がアンドロイドを作るなんて思っていなかったのです。

 

 さて、本日は、石黒先生がマツコさんと一緒にやっておられる番組のように、テーマを選んでパネルディスカッションをしたいと思います。

 石黒先生のtwitterをみながら、コメントを抜粋したパネルを作ったので、それを選びながらそれぞれのテーマに沿ったお話しをしていきましょう。

 

 コメントを抜粋していて印象的だったのは、人間についてのお話しが多かったことです。わたしも同じく人間に興味があり、人間というものを考えながらウェアラブルの研究をしています。

 では、まず「人間とはなにか」というテーマからいきましょう。

 

人間とはなにか

 

 石黒 「人は自分が人間であるというだけで、ほかの生き物よりも偉くて尊いと思うようだが、本当だろうか?」「人間を特別な存在だと信じる人は人間について真剣に考えない」「人間は自分を客観視できる脳を持つ。ゆえに自分と他人、人間と動物の比較にこだわる。知的であるがゆえのジレンマ。そのジレンマをどうして越えられないのか?」

 

 塚本 「社会と言語と自分の脳に騙されているのにそれに気づいていない」

 

 石黒 ふたりともいっていることはだいたい同じですね。わたしは人間が好きだからロボットを研究しています。ロボットにそれほど強い思い入れはありません。ロボット好きの研究者は人間とうまくいかないのでロボットを研究していて、だから間違っても人間そっくりのロボットなど作りませんが、わたしは違います。

 

 塚本 人間はもちろんですが、わたしはロボットにもまあまあ興味があります。

 

 石黒 人間の意識が宿る場所を、ここだと指し示すことはできません。人間は内観ができないので、いろいろなものと係って、自分を見つけるしかないんです。

 日曜日の自分を思い浮かべてみてください。したことを10分おきに全部書き出したらほぼ9割、人間も犬や猫と一緒です。つまり、四捨五入すれば犬であり猫なんですよ。ゴキブリといわないだけマシですね。

 

 塚本 でも、人間は地球を支配しているし、やはり他の生き物より尊いんじゃないですか。

 

 石黒 遺伝子の仕組みにおいて能力が発展して他の生物を押さえつけてきただけです。支配者が偉いのか、尊いのかという話です。強ければ偉いのでしょうか。勝った者が偉いというのはあまり納得できません。

 

 塚本 他の者を支配するという意味で「偉い」「尊い」のは間違いではないんじゃないですか。

 

 石黒 そういう意味で偉いのは当たり前で、そこで終わってしまうとなにも学習しないじゃないですか。

 

 塚本 しかし、個々の人々はみんな人間として行動しているわけではないでしょう。人間社会のなかで、他の人を追い抜こうと努力しているわけです。

 

 石黒 「あいつよりも偉い」というのならいいかもしれません。今これを書いたときのことを思い出しましたが、ロボットよりも常に自分は偉いと思っている人がいるんですよ。でも、そんなことないでしょう。

 

 塚本 ロボットよりは人間のほうが偉いんじゃないですか?

 

 石黒 でも碁の世界ではロボットに勝てないじゃないですか。にもかかわらず、コンピューターよりも生きる価値があるんでしょうか。

 社会において価値のある命かということですよ。少なくともアルファ碁のコンピューターは50億円かかっています。あなたの生命保険はいくらですか?

 

 塚本 人間とは、社会とは、幸せとはなにかという話ですね。

 

 石黒 そうです。人間がいかに勝手に社会のなかで序列を決めているかということです。そういうことをあらためて考えなおすのが大事なんです。

 わたしは人間というか自分を知りたいんですよ。人間は犬やロボットより本当に上なのか、そもそも自分って何?ということを。

 

 塚本 根源的な問いかけが大事だということですね。わたしはゴキブリより人間の方が上だと思いますが…。

 

 石黒 長く生きるということ、種の保存という観点からみればゴキブリの方が上ですよ。実は地上なんてたいした世界ではなくて、地下に眠るゴキブリの世界の方がはるかに優れているかもしれません。

 

美とはなにか

 

 石黒 「人の見かけの美しさと、たとえば絵の美しさは同じなのか?彫刻の美しさと同じなのか」「美しいとはどういう感覚なのだろう。人との共感はそこにどれほど必要になるのか?美しいと皆が言うから美しいのか?絶対的な美はあるのか?」「美しいものと、芸術とは必ずしも一致しない。芸術において常に歴史的な評価を受けているのは、新しい表現方法を生み出すこと」

 

 塚本 「美とは本来自分にとってよいもののカタチを表す脳内概念である。ほかの人の美を模倣しているだけの人もいる」

 

 石黒 美は主観的なもので、絶対的な美を定義するのはとても難しいですが、美術には技術的な側面があり、新しい方法、技法を生み出すことに価値が置かれます。たとえばピカソはあのキュビズムという手法を生み出しました。だから偉い。それは技術にも美術にも共通することです。ただ、ピカソがキュビズムでいちばん上手い絵を描けるわけではありません。

 

美人とはなにか

 

 石黒 「顔の美人は特徴がない整った顔だと言われるが、どうも声にも当てはまりそうだ。匂いはどうなんだろう」「動きすぎない。しゃべりすぎない。相手の脳にある人認識モデルを喚起する最低限の情報だけを表現する。人は常に想像においてポジティブだから、そうすれば自然に美人になる。」「人間はすべてのモダリティにおいて人間らしくなければならない。でないと不気味になる。美人はすべてのモダリティにおいて、美人でないと不気味?になる」「美人は排泄行為をしないと思われがちだが、実際にもあまりしないかもしれない」

 

 塚本 「平均顔(人間らしい顔は美人である。自分の顔と違う顔も美人である。要するに良い子供を作るための生物本能に基づくものである」

 

 石黒 きれいな顔というのはつるっとしていて皺がなくて左右対称な、多くの人の平均を取った特徴のない顔です。つまり、多くの人の想像を掻き立て、それぞれが都合よく補完できる顔なんです。

 以前、年齢や性別をそぎ落とした人間そっくりのテレノイドを作ったとき、見る角度によって全然表情が違うことを発見しました。つるっとした顔に皺が寄るとすごく表情豊かに見えます。それぞれが違う良さを引き出せるんです。

 情報が足りない部分を人間はすべてポジティブに補完します。たとえば知らない人から電話がかかってきたら、わたしたちは相手を必ず美人かハンサムだと想像するのです。

 

 塚本 平均顔は美人だが、逆はそうでないとはいえないとわたしは思います。極端な顔の美人というのもありうるのではないでしょうか。たとえば他の動物と似た顔は美人でないと書いていますが、逆にいえば動物とかけ離れた顔の美人もいるのではないか。すごく目が大きくて線が尖った、平均顔でない特徴のある美人もいるのではないでしょうか。

 

 石黒 それは不気味の谷の話かもしれません。平均顔は人間の代表ですから、そこから離れ過ぎると動物になってしまいます。美人は周縁にいくと動物に近くなってしまうのです。人間の周縁を囲むようにありとあらゆる種類の動物がいるとわかったら、人間はやはり真ん中になるでしょう。

 

 塚本 社会の共通の認識としての美人は確かに平均顔かもしれません。しかし、自分のなかで美人と思うものは必ずしも平均的でないのではないでしょうか。美は個のなかにそれぞれあるというのがわたしの考えです。美とは、美人とはなにかという哲学ですね。

 

 石黒 世の中で美人といわれる人が美人、それが美人の定義です。「わたしは美人だ」と主観で主張されても困ってしまう。美も同じで、それは社会的な概念であり、全員が美しいと思うものがやはり美しい。絶対的な美はなく、時代に応じて変わるということは、要するに社会性があるということ。個人の趣味はどうでもいいんですよ。

 ロボットを作るときも、7割が美人と思うものでないと売れません。今世界一美しいロボットを作っていますが、研究者としては、主観で評価されるものにほとんど価値を見出せません。

 

 塚本 最後の「美人は排泄行為をしないと思われがちだが、実際にもあまりしないかもしれない」というのが面白いですね。

 

 石黒 願望です。

 

不気味なもの

 

 石黒 「田舎で育った私にとっては、ビル街の中の神社は部分的に人間らしい皮膚を持つアンドロイドのように感じられるときがあります」 

 

 塚本 「人間はいつもと少しだけ違うことには敏感だ。少しだけ違うことに対する違和感は人間の生存本能だ」

 

 石黒 ビルのなかの神社が妙にサイボーグっぽく感じられることがあるんですよ。ほとんど機械の体なんだけれど、一部に皮膚が残っているみたいな、なんとなくつぎはぎな生々しさを感じて。

 

 塚本 それは不気味ということですか?

 

 石黒 そうですね。田舎へいくとどこもかしこも自然な風景で違和感はありませんが、都会へ来ると突然つぎはぎのように神社や緑があって、若干不気味に感じます。東京へ行くと特にそうです。でも不気味さには慣れます。

 

ロボットについて

 

 石黒 「今、ある学会の懇親会で議論してます。電車の中にロボットがいます。皆、そのロボットに率先して席を譲ろうとします。そんなロボットを作りたい。どうすればいい?」

 「少し問題を発展させて、そのロボットが電車にいると、高齢者に自然に席を譲ろうと思えるようになるロボットとは」

 

 石黒 電車に乗っていても皆、高齢者に席を自然に譲ろうとしません。それをロボットでなんとかしたいと思ったんです。ロボットが率先して席を譲っていたらどうですか?人間として恥ずかしいと思いませんか?

 

 塚本 あまり(会場の)同意を得られていないようですが…この問いに結論はあるんでしょうか?

 

 石黒 ロボットが率先してモラルをけん引するようにならないかなとは思っているのですが、結論はありません。ただ、ロボットにはいくらでも社会的モラルをプログラミングすることができま

す。

 一方、人間はできて当たり前の社会的モラルを全然実行できていません。ならば死にかけたロボットを電車の中に入れておいて「おまえが譲ってくれないと俺は死ぬ」みたいなことを訴えかけるというのはどうでしょうか。

 たとえば子どもに「妊婦さんがここにいるのにおじちゃんどうして座ってるの?」といわれたら結構ぐさっとくるでしょう。ロボットにモラルを教えられるというのもかなり効くはずです。

 そうなれば楽しいじゃないですか。ロボットの方がモラルの高い偉い存在になり、階級が変わって、ロボットの世界がやってくるんです。そういうロボットをそのうち作ってやろうと思っています。

 

 塚本 電車にロボットが乗っているという設定条件からしてハードルが高いですが、だいぶ先の話しでしょうか。また、ロボットは電車なんか乗らずに自分で歩けという意見が出てくるかもしれません。機械は直せば直りますが生物は無理ですし、人間は生身で生物的な弱さを持っているわけですから。

 

 石黒 そうやって差別する人もいるかもしれませんが、ロボットも作った人が下手くそだったら機械的な弱さを持ちますし、お金がなければ壊れても直せませんよね。

 

ロボット三原則

 

 石黒 「人を傷つけないという判断が極めて難しい。それを完全に保証すると、人と一切関われなくなる。触られただけで、見られただけで傷つく人はいる」

 「ロボットよりも機能が劣る自動車は人を傷つけているのになくならない。それ以上のメリットがあるから。ならば、ロボットも多くの人がメリットを感じれば、ある程度は人を傷つけていい?」

 「いや、この原則は自律的な判断能力を持つものに対する原則。ならば人間にも当てはまる原則なのか?」

 「いや、これはロボットに対する原則で人間に対するものではない。そうか、この原則の意味は、ロボットと人間は違うと言いたいのか。ならば、人間とロボットの境界があいまいになったらどうなる?」

 

 石黒 要するにロボット三原則は無茶苦茶だということですね。ロボットだけでなくすべての機械に当て嵌まりますが、完璧に人を傷つけないなんてことはできません。

 たとえば車は年間5000人くらい人を殺しています。でも、5000人の命より自動車産業の方が大事なので、そういうバランスで成り立っているわけです。

 

  塚本 ロボットも人を殺しますね。

 

  石黒 人間も人を殺します。ロボットが存在するだけで、怖くて怖くて死にそうという人もいるかもしれないし、炊飯器が怖くて心臓が止まりそうだという人がいないとは限らない。でも炊飯器はなくなりませんよね?

 

 塚本 つまりどういうことでしょう。

 

 石黒 要するにロボット三原則はあくまで原則であって、8割くらい守っておけばいい。それはすべての人工物にいえる話しで、つまりほとんどなにもいっていないということです。

 

機械による権利主張

 

 石黒 「機械は人間のように権利を主張することはない。しかし、いつしか人間の生活に深く入り込み、人や社会と融合している。今のコンピューターネットワーク同様に、ロボットはいつしか人間社会に不可欠なものになる」

 

 石黒 昔はたとえば病院の電気が一週間止まったら、人工心肺を使っていた人はすべて死んでしまいました。現在では大問題になるでしょうが、100年前はそれが当たり前でした。

 我々はコンピューターネットワークに依存しています。機械やコンピューターが社会に組み込まれ、技術が進歩して死亡率がどんどん下がれば、安全はデフォルトになります。一旦ロボットを社会に組み込んでしまえば、やはりそれを止めることはできません。しかし、機械が人間のように権利を主張することはないでしょう。

 

 塚本 わたしは意見が違いまして、人工知能が意識をもって権利を主張することはありえると思います。

 

 石黒 逆だと思います。まず人間が機械に権利を与えるんです。そうすれば俺も俺もと権利を主張するロボットが出てくるかもしれません。

 ただ、次元の違う生き物だと線引きされているうちは、なんの問題も起こらないでしょう。しかし、おまえは俺と一緒かもしれないぞとそそのかし、プログラムする人間がいたらわかりません。一旦そういう機会を与えられれば、権利を主張するロボットが出現する可能性はあります。

 

 塚本 複合的に脳の真似をして人工知能を作ろうというアプローチが最近増えていますし、そのなかでポッとあるとき急に自我が生まれる、そういう可能性はありませんか。

 

 石黒 心のこもった温かいサービスを届けたいという場合、意図や欲求を持つロボットを作らないと相手の要求を理解できません。感情とかいろいろなものを模倣できる仕組みを入れる必要があります。わたしの気持ちを本当にわかっているの?と言われたときに、シミュレーションできないといけないからです。本当の意味で役に立つ、人の気持ちに寄り添うものを作りたいなら、人を作る以外の方法はないのかもしれません。 

 

 塚本 人と違うような仕組みでそれがわかるような機械を作るということですか。意識というのは人の気持ちがわかるということとは別ではないですか。

 

 石黒 気持ちがわかるというのはその気持ちを取り入れて行動できるということなので、自分の経験にしないといけないわけです。お母さんが死んですごく悲しいの、といわれたときに経験していないとわからないじゃないですか。

 

 塚本 それと機械が意識と感情を持つということは違うのでは?

 

 石黒 人の経験を共有できるようになれば、人間とかなり近い、意識に似たようなものを持たないといけなくなります。

 

 塚本 一月ほど前、先生は講演で「これから10年は意識の時代だ」と仰っていました。最近は意識をめぐる議論もだいぶ変わってきましたよね。先生によれば、これからもっと発展していくとのことでしたが、意識が解明されるわけではないのでしょうか。

 

 石黒 複雑な処理ができるコンピュータで、人間っぽい意識ができるかもしれないという直感を多くの人が持つようになりました。意識が完全に解明されなくても、意識を持っているかのように振る舞うロボットは出てくるでしょう。それはひじょうに大きな進歩です。

 

 塚本 これから10年でロボットの意識はどうなりますか?投票へ行きたいと言い出したり、家を飛び出して自活したいと言い出したりする可能性はありますか?

 

 石黒 それは1000年くらい先の話しですね。10年ではとても到達しません。意識を持っているかのように振る舞うロボットがせいぜいでしょう。

 

機械による世界支配

 

 石黒 「機械が意思をもって世界を支配することはない。独立した人格もない。しかしコンピューターネットワークやロボットは、ネットワーク上に分散するたくさんの人間の意識の集合体のようなものである。ロボットを使うのを止めようと誰かがいっても、便利であれば使い続ける人は必ずいる」

 

 

 塚本 しかし、低レベルの単純な意思でも世界支配はできるかもしれない。

 

 石黒 わたしはできないと思います。現実的として、コンピュータを止めれば終わりですから。

 

 塚本 止められるでしょうか。

 

 石黒 生活レベルを用意周到にコンピューターの力で上げていって、コンピューターなしでは生きていけないところまでくれば、どうなるかわかりません。しかし、そこまで生活レベルを押し上げるにはもう少し時間がかかります。

 

 塚本 最近、ワトソンをはじめとしたIBMのシステムが、twitterでヒットラーを礼賛するような呟きをしたとして話題になりましたよね。

 

 石黒 それはtwitterで集めたからでしょう。世の中の人は想像以上に悪いこと、ネガティブなことをいっています。人間の本音と社会的なメッセージは乖離しているんです。

 

アンドロイドの意識

 

 石黒 「芸術を生むアンドロイドを人々がみれば、そこにはきっと意識や感情が存在すると想像するに違いない。この人々の想像こそがロボットの意識や感情を生む。それらを持つために重要なことは、まわりのものから持っていると思われることである。もっていることを証明することは人間にもできない」

 

 石黒 生まれたばかりの赤ん坊はおそらく意識を持っていません。しかし、そのうちなんでかわからないけれど意識が生まれる。それがアンドロイドにも起こるのではないかと思っています。  

 意識は他者から評価を与えられることによって生まれます。評価を与えられたアンドロイドが、その評判を維持するように振る舞えば、独立した意識を持っているようにみえるでしょう。

 行動と内心はどちらが先ということもありません。やっているうちに好きになるし好きになってからやることもある。意識も同じだと思います。 

 

 塚本 道筋は違いますが、わたしもあるときロボットに意識がポッと生まれるんじゃないかと思っています。1000年後といわず、10年後くらいにです。

 

 石黒 10年後は生きているので無責任なことをいえません。塚本先生と違って、わたしはできないと怒られる立場ですから。

 

 塚本 ちなみに10年前からわたしがつけているHMDは、当時から1年後には50%の若者が街でこれを装着するようになり、2年後には働く人の100%が装着するようになるといっていました。

 

脳通信

 

 石黒「人の脳同士が直接つながれば、実名の2ちゃんねる状態になる」

 

 塚本「脳通信できるようになったら自分の境界をちゃんと決めて、しっかり防御する必要が出てくる」

 

 塚本 脳同士が無秩序に繋がってしまうのはまずいと思います。他人と境界を作って防御するべきです。

 

 石黒 2ちゃんねるは内言に近いような気がします。2ちゃんねるをみると、お酒を飲んで気分が悪いときにいいたいようなことが全部書いてある。あれはほぼほぼ人の脳状態ですよ。わたしの脳はもう少し綺麗ですけどね。

 

 塚本 脳通信はいつ頃できるようになりますか。

 

 石黒 脳は弱いので読める情報がひじょうに少ないんです。頭蓋骨を開けて電極を刺すので、協力してくれる患者さんも少ないし、阪大の医学部でしかやっていないので、研究はなかなか進みません。ただ、脳に電極を刺したらロボットは簡単に超えます。運動を司るところに電極を入れてロボットに繋げばふつうに動く。でも、そうすると脳の研究としては全然おもしろくないんです。頭蓋骨の中にチップを埋め込んだらなんの研究にもなりません。

 

 塚本 わたしは脳に電極を刺したいと医学部の先生にお願いしましたが、危険だし、当面無理だといわれました。シナプスとか小さいので選んで繋ぐのは無理だそうです。

 

平和について

 

 石黒 「警察官を街で見かけて安心する人が多い社会と、なんとなく避けたいと思う人が多い社会。どっちが平和でどっちが安全か」

 

 石黒 街で警察官をみて安心するのは犯罪が多いからです。警察官なんて最終的にはいなくなった方がいいという気はします。

 

 塚本 平和は人類の目標でしょうか?

 

 石黒 遺伝子の生き残りゲームですから、人間が平和を求めるのは、できるだけ死なない状態にしたいということでしょうね。

 

生と死について

 

 石黒 「死を意識して、はじめて自分の存在が現実世界から消えていくことを想像し、その想像に本能的な恐怖を感じる」「生きることに大した意味はなく、死なないことはそれよりも意味がある」

 

 石黒 これは日本的な死生観ですね。儒教の世界では、この世でなにを成し遂げていかに死ぬかが問題だという。

 

 塚本 なんのために生きているのかと我々はよく自問しますね。

 

 石黒 生きることだけなら動物でもできるじゃないかといいたかったんですよ。でもこのあといろいろ考えだして、死の瞬間に時間が無限に伸びるっていうのがあるじゃないですか。

 

 塚本 そうなんですか?感覚的なものですか?

 

 石黒 脳の機能がオフになると時間の間隔がぎゅーと伸びて無限になります。死とは要するに無限時間の世界へ入ること。少なくとも主観的には時間が止まるので、死んでも大変なことにはなりません。そう考えると死が全然怖くなくなるんですよ。ロボットなんて毎回スイッチを切られるたびにそういう感覚を持っていたりするかもしれません。

 

 塚本 生きていても意識を失う時間はありますが。

 

 石黒 夜寝るときとか無限の時間へ落ちていく気はするんだけど、朝起きると戻ってるじゃないですか。

 

 塚本 記憶が残っていますからね。しかし、継続しているというのは我々の誤解であって、単にごまかされているだけで、記憶をすり替えられたら生きるという意味も変わってくるかもしれません。

 

 石黒 小学生のときと今の自分では、脳の中身もめちゃくちゃ変わっているはずです。では、昨日と今日ではどうでしょう。自我は変化し続けるので、どの時点でこれがわたしというのはありません。記憶が唯一変わり続ける自分を繋いでいるわけです。だから間違った記憶を入れればまったく別人格にもなってしまいます。

 ブレインアップローディングという技術があって、コンピューターに脳をアップロードできますが、続いている感覚はありません。塚本さんの記憶と入れ替えれば塚本さんの意識が芽生えて、次の日から塚本さんになってしまうんです。

 

幸せとはなにか

 

 石黒「普通の幸せは、雲に乗ってフワフワ空にうかんでいる、きっと。人間は犬より幸せか?はっきりYESと言えない」

 

 石黒 なんでこんなこといったんですかね?でもまあ剣山の上を血みどろで歩いているのが幸せとはいえませんから、その真逆のイメージってことで。猫や犬を見ているとこんな感じに見えるんですよ。知能のレベルと幸せは関係ありません。

 理想は機械が全部やってくれる世界です。人間はペットのように出されたおいしいごはんを食べて、好きなときに外を見て、散歩へ行って、寝る。肉体労働は機械に任せます。

 あと大事なのは哲学者になることです。人間とは何かを考える、それが究極の姿。うちの猫を見ていたらなんか哲学者っぽいんですよ。

 

 塚本 猫とはなにかを考えてるんですか。

 

 石黒 我々は猫的幸せに向かっている気がします。人間と動物の最大の違いは道具を使うこと。我々は道具を使うサルです。人間から機械や技術やロボットを取ったら人間ではなくなります。だからロボットとは共存関係で、お互いに支配していると思っておけばいいんです。

 

 塚本 だけどそれをロボットが不快に思ったらどうするんですか。

 

 石黒 ロボットが幸せになりたいと思ったらヤバイですよね。人間に全部やってもらって、自分は雲に乗ってフワフワしていたいと。人間がロボットを幸せにするためにめちゃくちゃ働かないといけない。

 でも、それがわたしの究極の目標かもしれません。幸せになりたいとロボットが思うようになればおもしろいし、ロボットを幸せにしたいと人間が思うようになるとおもしろい。ロボットが幸せになれば人間も幸せになる。共存関係なのでそれは切り離せないし、最終的にはそこを目指しています。

 

                                              塚本昌彦/石黒浩